ポーランドの逸話で、こんな話があります。
ある谷合の村に大雨が降り、やがて川が氾濫して洪水となりました。
村人たちは、次々と山へ避難し始めます。村人の一人が教会へ寄り、牧師に声をかけました。
「牧師さん、ここは危険です。一緒に逃げましょう」
「いいえ、私はどこも行きません、神様を信じているから神様が私を助けます。」
と言って、牧師は逃げようとしませんでした。
そのうち、水かさがどんどん増し、次々と村の建物を飲み込んでいった。高台にある教会もかろうじて屋根だけが水から出ている状態になってしまいました。
牧師は屋上の十字架にしがみづき、ひたすら神に祈り続けていました。
そこへボートに乗った村人がやって来て、牧師に向かって叫びました。
「牧師さん、助けに来ましたよ。ボートに乗ってください」
ずぶ濡れになった牧師は首を横に振ってこう言いました。
「私は神様を信じています。神様が信心深い者を見殺しにするわけがありません。だから、ここをどこにも行きません。」
村人の説得を聞かない牧師はボートに乗ろうとせず、とうとう彼は溺れ死んでしまったのでした。
天国に昇った牧師は、神様に会って文句を言いました。
「神様、なぜ私を助けてくださらなかったのですか?神にお仕えした私を見捨てるなんて、あんまりじゃないですか?」
神様は静かに言った。
「お前を助けるために2回も人を送ったではないか?なぜ助かろうとしなかったんだ?」
村人たちは、次々と山へ避難し始めます。村人の一人が教会へ寄り、牧師に声をかけました。
「牧師さん、ここは危険です。一緒に逃げましょう」
「いいえ、私はどこも行きません、神様を信じているから神様が私を助けます。」
と言って、牧師は逃げようとしませんでした。
そのうち、水かさがどんどん増し、次々と村の建物を飲み込んでいった。高台にある教会もかろうじて屋根だけが水から出ている状態になってしまいました。
牧師は屋上の十字架にしがみづき、ひたすら神に祈り続けていました。
そこへボートに乗った村人がやって来て、牧師に向かって叫びました。
「牧師さん、助けに来ましたよ。ボートに乗ってください」
ずぶ濡れになった牧師は首を横に振ってこう言いました。
「私は神様を信じています。神様が信心深い者を見殺しにするわけがありません。だから、ここをどこにも行きません。」
村人の説得を聞かない牧師はボートに乗ろうとせず、とうとう彼は溺れ死んでしまったのでした。
天国に昇った牧師は、神様に会って文句を言いました。
「神様、なぜ私を助けてくださらなかったのですか?神にお仕えした私を見捨てるなんて、あんまりじゃないですか?」
神様は静かに言った。
「お前を助けるために2回も人を送ったではないか?なぜ助かろうとしなかったんだ?」
モノの見方を固定化してはいけない
一つのことだけを中心でものごとを見ていたために、身近にある大切なことに気づかなくなってしまってはどうしようもありません。
牧師を笑ってばかりはいられません。モノの見方を決めているのは自分自身で、ふだんあまり意識していません。
気づかないうちに、自分中心のモノの見方をしていて、
「本当に大切な身近なことに気づいていない」
ということはよくあることです。
失ってから気づいても後の祭りです。
いろんな自分なりのこだわりを持つことは大切ですが、人との”つながり”とか”関係性”を無視していては、状況を見誤ります。
ふだんから、
・心を柔軟にして、なにごとも決めつけない、
・一面ではなくいろんな角度から物事を見る
・他人の意見を聴く
・一面ではなくいろんな角度から物事を見る
・他人の意見を聴く
という習慣を持つことが大切ですね。
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